インターナショナル リカバリー デー

International Recovery Day

国際リカバリーデーは2020年9月30日に、現在制作中のウェブサイトを通じて全世界的に開始される無料のオンライン・イベントです。

私たちは、全ての回復の道筋にある、世界中の、回復中の全ての仲間たちを、1日で繋ぐことによって、アディクションの悲惨さから、回復の中で与えられる希望へと関心をシフトさせ(問題から、解決への移行)ようとしています。このイベントは前代未聞のオンラインイベントになるはずです。

私たちのウエブサイト、「地球(Globe)」ページが、このイベント活動の中心となります。このページいっぱいに巨大で、暗い地球が、ゆっくりと回転しています。背景には軋むようなゴロゴロいう音が聞こえています。地球の上には、カウントダウンのカウンターが見えます。

カウンターが2020年9月30日午前12時になった瞬間を想像してください。リカバリーロケットが発射されるオーストラリアのシドニーで、小さな光が瞬くのが見えるでしょう。ロケットは大気圏中に発射され、ランダムに暗い地球に円を描き始めます。しかし、リカバリーロケットの発射と同時に、オーストラリアの輪郭が紫色(リカバリー運動のシンボルカラー)に輝きます。しばらくすると、別のリカバリーロケットがインドのデリーから発射されるのが見えるでしょう。このロケットが大気圏に火を放って飛んでゆくにつれて、インドの輪郭が紫色に輝きます。間もなく、何十、何百、何千ものリカバリーロケットが大気圏に発射されその光跡はお互いに重なり合い、混じり合い、次々と様々な国々の輪郭が紫色に輝きだすにつれ、世界中の相互連帯のパッチワークを作り出すのです。

一つの国で発射されるリカバリーロケットの数が多ければ多いほど、その国の紫色は濃くなります。それを見ればその国の参加者の数、密度が一目でわかるのです。

回復中の私たちは、世界に向けて(そしてお互いに)私たちがどれほど濃密で連帯した力になっているかを発信したいのです。私たちは世界中の屋根の上から、私たちが現に回復していること、そして世界中の個々人、家族、コミュニティに助力と希望を提供していることを大声で叫びたいのです。

あなたがこの歴史的なイベントについて宣伝してくださるよう願います。私たちの多くはソーシャルメディアを使って、地元、自国、そして世界のネットワークとつながろうとしています。質問やご意見がありましたら、どうぞご遠慮なく私に連絡してください。

私たちの活動については、国際リカバリーデーのフェイスブックページをご訪問いただくことで、もっとお知りいただけます。

International Recovery Day
https://www.facebook.com/internationalrecoveryday/

翻訳:森村 たまき さん

「第9回 AIDS 文化フォーラム in 京都」出展要項

「第9回 AIDS 文化フォーラム in 京都」出展の応募を開始いたしました。

出展要項をご確認の上、「第9回AIDS文化フォーラムin京都プログラム申し込みフォーム_展示」、「第9回AIDS文化フォーラムin京都プログラム申し込みフォーム_発表」使って、お申込みください。

タイムテーブルなどは昨年のプログラムを参考にしてください。
~第8回AIDS文化フォーラムin京都~ プログラム

●開催概要
日 時:2019年10月5日(土)、6日(日)
場 所:龍谷大学深草キャンパス
テ ー マ:「つなぐ」「つながる」今、できること〜レッドリボン大作戦
主 催:AIDS 文化フォーラム in 京都運営委員会

●AIDS 文化フォーラム in 京都の目的
Ⅰ.エイズ問題の啓発
①市民に開かれたフォーラムによって、エイズが抱える問題を社会に浸透させる。
②エイズ問題について、人間として必要な文化の領域からのアプローチを試みる。
③特に若い世代へ、エイズに関する有益となる情報を提供する。
④学校教育について考える機会とし、特に性教育に関してオープンとなることを期待する。

Ⅱ.多様性を理解する
①性と文化、性教育、性のあり方等を考える機会とする。
②異なった意見や考え方を大切にする。

Ⅲ.ともに生きる
①エイズは日本を超え地球規模の問題であり、ともに考え問題を分かち合い、ともに生きる世界の実現に努める。
②HIV 陽性者の支援・交流の機会とする。
③人間のうちにある差別や偏見をなくし、人権を大切にするよう努める。

●出展内容及び遵守事項
*市民対象のフォーラムです。気軽に参加し、理解できる内容の提示をお願いします。
①HIV 及び AIDS に関する視点を持った内容、エイズ問題の啓発につながる内容であれば、どなたでも参加できます。ただし、政治活動、宗教への勧誘、営利目的など、内容が「AIDS文化フォーラム in 京都」の目的にそぐわないと判断した場合は、出展をお断りすることがあります。また、出展中においても中止を求めることがあります。
②講演、ワークショップ、展示など、発表の形式は自由です。
③発表は1コマ90分を基本とします。(部屋数が限られており、時間設定は運営委員会に一任下さい。どうしてもご希望があれば、10/5、10/6 の選択は可能です。)
④教育、若者、陽性者支援、セクシュアリティー、検査、国際、医療など多様な切り口からの発表をお待ちしています。
⑤発表のタイトルは、内容や対象(もし特に想定するのであれば)が、参加者にわかりやすく伝わるものとして下さい。
⑥参加費は無料ですが、発表に係る準備、後片付けなどにかかる費用は、出展者の負担となります。
⑦出展に当たっては、延長や極端な短縮をせず、割り当てられた時間内に終了してください。
⑧出展者は、「AIDS 文化フォーラム in 京都」の広報への協力をお願いします。
⑨「AIDS 文化フォーラム in 京都」終了後、発表内容についての報告書を提出していただきます。(出展者からの報告をとりまとめて、「報告書」を作成します)
⑩発表、展示等の参加を希望される方は、「参加申込用紙」に必要事項を記入の上、AIDS 文化フォーラム in 京都事務局に提出してください。~申し込み締め切り7月 31日
⑪提出いただいた「参加申込用紙」の内容を審査の上、出展の可否を決定します。

●お申込み・ご連絡先:AIDS文化フォーラムin京都事務局
〒604-8083 京都市中京区三条通柳馬場東入中之町2 京都YMCA
tel:075-231-4388  fax:075-251-0970
E-mail:
URL:http://hiv-kyoto.com/

第9回AIDS文化フォーラムin京都出展要項_2019年
第9回AIDS文化フォーラムin京都プログラム申し込みフォーム_展示PDF
第9回AIDS文化フォーラムin京都プログラム申し込みフォーム_発表PDF

第9回AIDS文化フォーラムin京都プログラム申し込みフォーム_展示エクセル
第9回AIDS文化フォーラムin京都プログラム申し込みフォーム_発表エクセル

モグラとメモグの夫婦の絆物語~薬物依存症の環境を変えて回復~|更生のための刑事弁護を目指す弁護士西谷裕子のホームページより

薬物を止めようとする人達、薬物を使用しない人達とつながって、 人脈や環境を変えていくことで薬物依存症から回復できた事例

薬物を止めようとする人達、薬物を使用しない人達とつながり、人脈や環境を変えていったことで、自然と薬物依存症からの回復の軌道に乗った57歳男性のモグラさんのケースをご紹介します。

薬物依存症の人が、薬物を断ち切り、回復していくにあたっては、「どんな環境に身をおいて、どんな人達とつながるか」、がとても重要です。

端的にいってしまえば、
薬物を使おうとする人達とつながっていれば、遅かれ早かれ、再犯してしまうでしょう。

逆に、薬物をやめようとする人達、薬物を使用しない人達とつながりを持てば、再使用せずに、回復の軌道に乗りやすくなります。

もし仮に、途中でちょっとスリップしてしまうようなことがあっても、すぐ軌道修正して、また薬物を止め続ける日々へと戻ることができます。

しかし、薬物を使用しようとする人達とつながりを断てないまま、そういう環境に身をおき続けていると、1回再使用してしまったら最後、ぞのままズルズルと薬物を使用し続ける日々に舞い戻ってしまうのです。……….

薬物を止めようとする人達、薬物を使用しない人達とつながって、 人脈や環境を変えていくことで薬物依存症から回復できた事例 ~モグラとメモグの夫婦の絆物語~|更生のための刑事弁護を目指す弁護士西谷裕子のホームページより

分かちあう事、そして共感できる仲間が私達にできて心より感謝

薬物依存症のタケヤンです。

私は17歳からシンナー、覚醒剤他色々な薬物を使用しながら生きてきました。

薬を使いだした目的は好奇心からですが、歳を重ねるごとに使い方が変化し、その年齢に合わせて薬は私に対して様々な事をコントロール不足にしていきました。今もなお、クリーンでいても自分自身をコントロールできない様に操り、精神的にも肉体的にも不自由を感じ、苦しい、辛い、と思う時間が一日に何度も襲ってきます。そんな状況に陥ると、自分を取り戻すのに必死になり、疲労困憊してしまいます。不眠症にも悩まされ、うまく眠れない夜は不安と戦って疲れ切ってしまいます。精神薬や睡眠薬を服用しても効果がないと感じることが多い為、困り果てている状況の中で日々生きています。

それでも私は今回が薬物を断つための最後の与えられたチャンスだと思っています。 また薬物を使う自分に戻り、自分自身をコントロール不可能にするのか、回復のチャンスを手放さずにコントロールできるようになるのか・・・。少なくともこのニュースレターを木津川ダルクのタケシさんに頼まれて受けたという事は、頼まれたから書くというより、今の私の気持ちを文字にすることにより、自分自身を見つめ直すチャンスを手渡してくれたと受け止めており、心より感謝しています。

うまく皆様に私の今の心境が伝わるか分かりませんが、クリーン4カ月の私の今を少しでも共感していただけたら幸いです。

私は覚醒剤において6度の逮捕を繰り返し、今回6度目の逮捕の後、実刑2年、執行猶予5年、保護観察付きの処分を受けている最中です。今は木津川ダルクに通所しながらNAにつながり、ミーティングに参加して回復に向けて日々の生活を送っています。

今まで3度の服役を繰り返す中で、薬物更生施設の事を知ってはいましたが、薬物依存者の集まりの中に入って更生に向けていく事は私にとっては理解できず、そんな所へ行かなくてはならないほど自分自身は落ちぶれていないし、そんな所へ行っても逆にまた薬が欲しくなったり、悪い付き合いが始まって大した効果も得られない、と決めつけていたのでまったく興味が湧きませんでした。そんな状態の中で今日まで薬を使用し、逮捕され、服役を繰り返していく生活でした。仕事は大型車に乗りながら生計を立てていましたが、薬を使用しながらの仕事だったため長続きしなかったり、仕事に対しての一番の後悔は、自ら自営として立ち上げた会社を潰し新築の一軒家を手放し、一家離散になってしまった事です。失ったものは他にも数え切れませんが、すべてにおいて薬物を使用していた事により起きた出来事だと自覚するに到っております。

3度の離婚を繰り返し現在の妻と22年の結婚生活を送っていますが、出会った時から今日まで妻と共に覚醒剤を使用しながらの生活を送り続け、今回私が6度目の逮捕にして妻も一緒に逮捕されるという、恐れていた事態が起きてしまいました。いつかはこうなると分かっていたのに薬をやめられずに過ごしていたのですから、家族・友人・知人に最大の絶望と信用・信頼を失う事も与えたのは言うまでもありません。後悔などという言葉は私達夫婦にはおこがましい言い訳でしかなく、後悔をしたと言い訳するつもりはありません。友人に私達は崖っぷちではなく、崖から落ちてると言われて返す言葉もありませんでした。

今回、保護観察という処分をいただき、観察所から市が行っている薬物更生プログラムに参加してみてはどうですか?と言われました。今回は夫婦二人での逮捕でしたので、今までの様に私一人ならその言葉の真剣な受け止めも浅かったと思いますが、今回は心から薬をやめなくてはならない、と妻と心に決めたので私はこのプログラムに参加しようと決めました。プログラムに参加して私の心がざわつきました。みんな楽しく過去の話や今の心の変化、そして伝わりやすく仲間同士で語り合い、初対面の私に対して何の壁もなくすんなり受け入れてくれ、私の話を真剣にそして共感しながら聞いてくれました。

そしてプログラムが終わった時に声をかけてくれたのが、今私が通所している木津川ダルクの施設長のタケシさんでした。気さくな感じに「今どこかに繋がっていますか?」と言ってくださり、何も分からない私に一度私の施設に来てみませんか?と声を掛けて下さりました。その言葉により後日、木津川ダルクに訪れました。そして私の身の上話をすると、タケシさんは、自分自身が回復する気持ちがあるのならこの施設に足を運んで下さい。そして私に「あなたは実刑にならないし、執行猶予になるし助かります。実刑に行っているよりも施設に通った方が1日も早く回復に向かって歩けますし、他にも回復への道がたくさんありますので、NAのミーティングにも通ってみて下さい。お金も要らないし、あなたが回復したい一心で行動すれば、今までどうにもならなかった事が一つ一つ解決していきます。」と言って下さりました。こんな私に困った顔一つ見せずに話を聞きながら受け答えて下さった事が今も忘れられません。

それから私は施設へ通所しNAミーティングの参加が始まりました。私の裁判に対しての上申書をタケシさんが書いて下さり、裁判当日には、タケシさんをはじめたくさんのNAの仲間がわざわざこんな私の為に、裁判所に足を運んでくれたこ事に無償の愛と優しさを感じました。感謝の気持ちで一杯です。

今、執行猶予5年、保護観察処分、クリーン4カ月です。今までの私達夫婦には4カ月薬をやめる事の出来なかった日数です。これほどダルクやNAミーティングのおかげでクリーンが保たれて健全に生活していられることに喜びを感じています。

今は薬を止められたとは思えませんが、今日だけで精一杯の私達ですが、NAミーティングに参加し続けつながり続けたいと思う気持ちは、回復に向けて歩いている事の証です。

木津川ダルクのタケシさん、ダルクの仲間、NAの仲間が私達を心から受け入れてくれている事が今、私達がクリーンでいられる大きな助けとなっています。まだNAの原理やステップについては理解に欠く所はありますが、ミーティングに通い続けていればクリーンでいられる事は本当だと思います。私たちには最高の治療法なのです。この先、夫婦二人でクリーン生活を続け、タケシさんにこの姿を見て喜んでいただきたいと思っております。分かちあう事、そして共感できる仲間が私達にできて心より感謝しています。

ありがとうございました。

アパリ東京本部ニュースレター

ダルクと私

私が生まれて初めてタバコや酒を覚えたのは小学校の高学年だったと思います。その頃はよくいう興味本位だけ。友達と大人の遊びをするのが面白いと感じるのは誰にでもあることかもしれません。その頃は常習になるわけでもなく、単なるお遊びの一環としてでした。

違法薬物と出会ったのは大麻ですが、これも最初からのめりこんだというわけでもなく、そういう遊びが楽しく感じたのですね。特別好きな趣味も無く、クラブ活動に没頭している同級生を尻目に、大麻で遊んでいる自分を特別な存在のように感じていました。

中学生の頃からスケートボードを始めて、いつの間にかサーフショップのひとに海へサーフィンをしに連れて行ってもらえるようになりました。もうかれこれ35年は前の話ですから、現在のようにサーフィンがメジャーなスポーツではなく、アウトローでアメリカンな感覚が自分にはぴったりハマったのでしょうか。人と違うことをしているのがどうも快感だったようです。

サーフィンには真面目に取り組みました。若いとあって、年上の先輩達にもかわいがられたおかげでそこそこ上達できた頃、水の上を人間が板切れ一枚でスイスイ滑るあの感覚は、何物にも代えがたい快感と喜びがありました。他では味わえない気持ちよさを得られるスポーツとあって、当然毎日のように海へ行きたくなります。しかしながら未成年で車の免許も無い私を、先輩達も仕事があり毎日海へなど連れて行ってもらえません。当然費用もかかります。そんな時に夜な夜なDiscoやクラブに通い始めるようになります。こんな話はよくあるパターンかもしれませんね。一度、何物にも代えがたい快感を得てしまうとそれと同等の喜びを得られる行為を探し求めます。薬物にのめり込むのにさほど時間はかかりませんでした。

サーフィンとドラッグ、スケボーとドラッグがセットになり、やがてはドラッグのみを追い求める生活に変わります。健康的な友達は去り、クスリを共有する仲間だけ。仕事やバイトに就くも長続きせず辞めるかクビになる。稼いだお金も使い道はクスリだけ。類は友を呼び、クスリのネットワークばかりが広がります。そんな生活が数年続いたのち、クスリ仲間が入院したり亡くなってしまったり。自分なりに多少は「止めよう」と思ったのか単身海外へ逃げるように渡航しました。

南半球の地で、クスリを体から抜いてもう一度サーフィンがしたい。俗にいう“返し太り”でぶくぶくに太った体のリハビリに取り組む覚悟でしたが、中々上手くはいきません。遊びほうけてまた大麻を吸ったりしながら一年少しして帰国。帰国後に仲間を誘いすぐの一発です。
地元に戻ることが怖くなり、遠く離れた東北で暮らすことを決め移住。身寄りも知人もいない土地での再出発はそんな楽なものではありません。それでもあの危険な地元の関係の中には絶対帰りたくない思いで、何とかハードドラッグを使うことなく何とか生計が立ち始め、仕事も安定し結婚、一児を授かります。

ところが、体を壊したのをきっかけに転職、転職を機にまた大麻です。その頃、パニック障害になり、精神科通院も始まります。苦労しながらも、周りからよく見られたい強い承認欲求でマイホームも建てますが、ふたを開けてみれば大麻栽培を最優先に考えた自分の城です。毎日起こる痙攣や発作に鬱々とした状態。定期的に夜のポットパーティ、サーフィンに打ち込みなおした数年間も処方ヨレとフラッピーな身体でズタズタ。職場では他人の悪口ばかり。書いていた自身のBLOGも炎上。その上株式投資にもハマり財産を使い果たします。15年勤めた職場も自主退職。自己破産の申請に破産専門の自助グループに通い、裁判ののち免責決定許可がおります。それからすぐに大震災で被災し、泣く泣く故郷へ。職探しを何十件もしてはみますが採用されません。そんな自分の居場所は布団の上だけでした。精も根も尽き果て鬱状態はさらにひどくなり、二度の自殺未遂の果て意識不明からの精神病院措置入院が待っていました。

精神科退院のあと、兼ねてから定期的に連絡をくれたり、生存確認をしてくれていたかつてのクスリ仲間が回復し働いているダルクに自ら繋がりました。京都ダルクには男女合わせて20名位の利用者がいましたが、みんな自分より若くて、そういう些細な事から仲間たちとの違い探しをし、入院中に大幅な処方薬の減薬からの断薬。離脱症状もあって苦しい日々が続きます。父親が要介護の認知症であることと、実家の僅かながらの仕事のために通所利用しながらの毎日はとても辛い日々となります。かつてなら、しんどいことはしたくない、不安や自己嫌悪に陥る自分でいたくない、過去のことをいつまでもクヨクヨ悩んだり、周りの人を恨んだりする中でクスリや大麻に逃げていたかもしれません。

しかし、ダルクには自分と同じような辛さを抱えた仲間達がいたこと。今日はしんどくても明日は何故かしら笑っている仲間達。私が食事をしたあとの食器を洗ってくれた仲間がいたり、ミーティングでの私の話を聴いて共感してくれる仲間がいたり、合わないなという仲間もいたけど、それぞれの仲間の中にかつての私自身がいるなと気づき始めます。

アディクション(薬物依存症)は病気であると理解していく中で、自分は随分長い年月を病気に囚われながら生き延びていたのだなと感じました。

ミーティングもそうなのですが、ダルクのプログラムはとてもシンプルで、スタッフや仲間達と掃除をしたり、献立を考え買い物に行ったり、料理を作り皆で食べる。その中で、そういったことも誰かや家族にしてもらって当たり前と生きてきていた自分がいることに気づきます。スポーツや畑での農作業のプログラムもあり、最初の頃は自分で進んで参加することもなかったですが、スタッフや仲間達が声を掛けてくれたり、出来ないながらも少しずつ楽しめるようになっていきました。

ダルクで仲間達と得た経験は、かつてない新しい経験と感じれたのだと思います。何をするにも自分中心、自分さえ良かったらいいのだというこの病気、やがて自分自身で疎外感を強く感じながら孤独を作っていきます。その先には「死」でしかないのですね。

素面の自分がダルクの仲間達とプログラムを通じて新しい経験をしていく中で、様々な感情が生まれ、その感情と向き合う中で気づくことがたくさんあります。でももう自分一人ではないということ。クリーンな期間があるとはいえ、仲間の中で過ごしながら自分自身の感情と向き合うことを忘れてしまうと、またしんどい状態が長く続くことになります。京都ダルクで素晴らしい経験をさせていただき、昨年から木津川ダルクでスタッフとして働かせていただいております。

入所している仲間達と毎日過ごしながら、仲間達に生まれる感情、「どう感じ、どうしたいのか」「その時に古い生き方で反応するのか、新しい生き方で対応していくのか」自分自身に問いかけながらも楽しみを見つけ、仲間達と共有していこうと考えます。

傲慢にならず、同じ目線で考え、先行く仲間達に自分がしてもらったことを少しでも新しい仲間に返せていければいいですね。

YSKZ

出会いとつながり

薬物依存症のヒカリです。僕は15歳の頃からシンナーをはじめ23歳くらいから覚せい剤に手を染めました。そして薬物をやめられなくて3度刑務所に入りました。3度目の刑務所に入る前に自分でインターネットで弁護士を探していた時に、「薬物の治療をしながら弁護をする」という弁護士さんをみつけてすぐに電話をしました。初めは「少しでも刑がかるくなれるように」とよこしまな気持ちでいましたが、西谷弁護士とアパリの尾田さんの熱意に感化され治療をはじめようと思いました。そして、アパリと5年間、薬物の相談や支援をしてくれるということで契約しました。そして薬物治療の為に結のぞみ病院に入院しました。この精神科病院の入院は本当に辛い経験でしたが、西谷弁護士や病院での主治医である中元先生と尾田さんのサポートもあり何とか6ヶ月間の入院生活に耐えることができました。裁判の時も僕のために一生懸命に僕の弁護をしてくれた西谷弁護士、そして情状証人に立ってくれた尾田さんの情熱は忘れることができません。本当に心が許せる人たちでした。そして刑も決まりました。今、考
えればその出会いから僕の回復が始まったと思います。

そして、3度目の刑務所を出所してきました。刑務所の中で色々と出てからの自分の治療の生活設計を立てていました。出所して初めの一年は仕事をしながら毎週病院に通い週3日は自助グループに通っていましたが薬を止めて1年をすぎた頃に一人で薬を止めて行くのには限界がありました。そこで、木津川ダルクの施設長の加藤さんに相談し、月に一度二度の一泊二日での入寮を許してもらいました。僕の中で「ダルク」という施設は「絶対に俺は行かないぞ」と思っていた中間施設でした。それはなぜかというと刑務所で何度も「ダルク」のビデオを見せられた事もあり僕の中で拒否反応が出たからです。

しかし、自分の回復の中でこれ以上の回復の進歩はないと思い一泊二日で毎月泊まりに行けるよう加藤さんの配慮で泊まれるようになりました。
初めは「ダルクの生活ってどんな所なんやろう?」と内心ドキドキしていましたが、いざ一緒に生活をさせてもらうと割とすんなり仲間の輪の中に入ることができました。僕が1番驚いた事はダルクの中にある生活の一つ一つにプログラムがあると言う事でした。朝起きてご飯を食べる。ミーティングをする。ご飯の買い出しに行く、施設の中で料理の用意をする、調理をする、みんなで掃除をする、これらの作業もプログラムの中の一環という事に驚きました。僕は家ではほとんどの事を自分ですることがなく、ほとんどがパートナー任せの生活をしていたので施設での生活にとてもいい影響を受けました。「自分でできる事をする」この当たり前なことができていない自分に気づき少し恥ずかしくもなりました。回復するにはまずは基盤となる「普通の生活(自立した生活)」が必要なのだなと感じました。

ミーティングは午前と午後に2回あります。自分の事を話すのは少し恥ずかしかったり、初めのうちは心を開くことができずにいましたが、何度目かのミーティングで初めて心を開くことができた時には身体(心)が軽くなった事を今でも覚えています。そして、話すだけでは無く人の話を聞くのも大事だと言う事を教えてもらいました。
スタッフの方とのコミュニケーションも僕の中では驚きでした。やっと一息ついた休憩時間にもかかわらず、親身になって僕の話を聞いてくれ的確なアドバイスをくれた事で僕の中にあった悩みが確実に小さくなって行くのを感じました。「話を聞いてくれて共感してくれる」
事だけで嬉しくなります。
施設での生活をしていると、今まで自分がしていた生活は間違っていたことに気がつきました。施設に泊まると本当に生まれ変わったような気持ちになります。それはなぜかというと、 何時も仲が悪い父親に「仕事休ましてもらって施設に行かしてくれてありがとう」と、言えるようになったからです。何時もは僕の面倒見てくれるのが当たり前だと思っていたことが間違いだと気づきこころから「ありがとう」と、言えるようになりました。ありがとうと言った僕の顔を不思議そうに見ていた父親の顔は今でもよく覚えています。
施設の生活も良いことばかりではありません。気の合わない人やイラつく人など本当に色々な人がいますが、僕達薬物依存症の人は決して1人では回復ができない事を教えてくれました。「この人合わんわ」「腹たつから近寄らんとこう」といった気持ちは全て自分の中に問題があることにも気づかせてくれました。まず、自分の生活を元に戻し内面を変えていくことが大事だと教えてもらいました。ダルクに行くまではそんな事を思った事は一度もありませんでした。そして僕に仕事をしながらでも回復ができるという自信を持たせてもらいました。本当に心から感謝しています。

西谷弁護士とも今も交流を持っています。人と人の繋がりって本当に大事な事だと学ばしてもらいました。西谷弁護士、アパリの尾田さん 木津川ダルクの加藤さん この3人の方がいなければ僕の回復はなかったと思います。これからもダルクに通わせてもらいながら仕事に行き1日でも多くのクリーンを続けていこうと思っています。

ひかり

アパリ東京本部ニュースレターNo.85

『夏の思い出!』

こんにちは、木津川ダルク スタッフの金銅良明です。皆さんから、ヨシさん〜と呼ばれことが多くなりました。嬉しいことです。

今年は、短い梅雨と猛暑が印象的でした。

7月はじめから、暑い日がジワジワと迫ってきて、酷い暑さは、お盆まで続いている状況であります。現在、木津川ダルク入所9名 通所者1名の状況の中なんとか落ち着いた感じでやっています。

施設での行事としては、名古屋で行われたNA日本コンベンションに施設全員参加して無事に楽しく過ごし帰ってこれたこと喜ばしいことです。

メインスピーカーの話しに涙した入所メンバーもいました。
宿泊したゲストハウスの朝食のパンを待ちわびたのも良い思い出でしたね。

名古屋では、パンにあずきとマーガリンのようで…。
とっても美味しかったです。夜は、宿泊していたゲストハウス近くの銭湯に行ったりと、仲間とのゆったりとした時間を楽しみました。

コンベンションの参加がはじめとのメンバーもいて、「素晴らしい!」、「感動しました」など、いろいろと感想を述べたメンバーがいたことも喜ばしいことでした。

ダメなところ、反省点もありましたが、思い出は、笑える良いことばかりでしたね。

また来年も一緒にコンベンションに行けると良いですね。

8月12日(日)、私のプライベートでサーフィンに行く機会があり、入所メンバーの中から希望者3名と一緒に、和歌山に行ってきました。

お盆なのに、台風きているのに、海に行くのかと、お叱り、注意してくれる方もいましたが、理由は、今年は、私の母95歳が1月30日に亡くなったこともあり、初盆を迎えています。母が亡くなり、月命日には、自宅仏壇のお光を一日中灯す日を続けています。「この時期にサーフィンか」と姉さんから叱られましたが、日頃、自宅にてお仏壇に手を合わせ毎日を過ごしてました。この日もお仏壇のお光を一日中つけて手を合わせてから、自宅出発して和歌山でサーフィンを楽しんでいる自分がいました。一緒に行った3人は、海水浴、シュノーケルを楽しんでリフレッシュして帰りは、和歌山ラーメンを食して、ご満悦の様子でした。メンバー皆んなと協力して、楽しい1日を過ごせました。

時折、母の過去の写真をSNSなどで見ると今でも涙が溢れそうになる時がありますが、けれども悲しみにくずれることなく、木津川ダルクの存在があり、スタッフがいて、入所者がいて、ヨーガ指導の先生、NADAの先生、支援者、自助グループの仲間がいて、たくさんの関わりやつながりに励まされ、勇気と力をもらえているにちがいありません。

亡き母も仲間とサーフィンをしている息子の事を天国で安心して喜んで見てくれているはずです。感謝しています。自分としては、ゆっくりとなんでもない平安な日々を楽しめると良いと思ってます。

これからも木津川ダルクご支援のほど宜しくお願い致します。

アパリ東京本部ニュースレターNo.90

「ひとりではない」

はじめまして。薬物依存症のてつです。昨年の12月13日に刑務所から仮釈放で出所しました。現在は京都の木津川ダルクで入寮生活を送っております。私は現在40歳です。覚醒剤を初めて使ったのが24歳なので16年間の使用歴になります。その間に三度の逮捕、二度の刑務所生活を経験しました。

私が覚醒剤に手を出すきっかけになったのは、あるパチンコ店からの帰りに売人から声を掛けられた事でした。16年前の当時、私の実家から程近くの隣町では、路上に売人が立ち通行人に声をかけて薬を売っているというような場所でした。その様な場所でしたが、「自分には関係ないだろう」と特に警戒もすることなく、密売地域のど真ん中にあるパチンコ店に通っていました。ある日そのパチンコ店でイベントがあったので、いつものように出掛けて行き、少しの勝ちを得ることができました。

その帰り道です。コンビニに立ち寄ろうと思い歩き出したところを、若い男に声を掛けられたのです。手招きされ近づくと「兄ちゃん、エスあるで」と切り出してきました。パチンコで少しお金を得ていた私にとって特に高いと感じる値段ではありませんでしたし、使用方法もアルミホイルに乗せてライターで炙り煙を吸うだけ、そして何より私は好奇心に打ち負け購入してみる事にしたのです。

初めての使用の際は、本当に薬が効いているのかどうかよく分からない状態。少し体が軽くなたかなぁ?という感覚と、眠ることが出来なかったことだけを覚えています。

その次に使ったのが、仕事の夜勤明けでした。本当に疲れ果てて家に帰ったのですが、なんとなしに覚醒剤を使うと、疲れが取れた感じがし、眠ることも無くそのままパチンコを打つことができるようになりました。また、パチンコやスロットを打つのが、いつもより格段に面白く感じられるようになりました。体のレスポンスが上がった感じで、集中力も上がり、スロットを打つ際には、リールの絵柄が止まって見えるようにさえ感じたものです。夜勤明けで疲れ切っていても、疲れを感じず、一日中パチンコが楽しめる。正直、こんなに素晴らしい、楽しいものはないと感じました。今まで薬を使わない素面の状態で楽しめていたパチンコが、だんだん薬のない状態だと楽しめないというような状態になります。それからは休日の前の夜勤後には薬とパチンコをセットで楽しむことが増えました。

そして、真昼間から仕事帰りのスーツ姿で密売地域をうろうろしていた私は、警察官にすぐに目を付けられ、職務質問で一回目の逮捕をされることになるのです。使用後約三カ月後のことです。

判決は1年6カ月、執行猶予3年。取り調べ後すぐに保釈で出たので拘置所に通うこともなく、職場も10日程の病欠扱いとなり、逮捕以前と表面上は何も変わらない生活に戻ることが出来たのです。今振り返ると、「重大なことをしでかした」という感覚は全く持っていませんでした。家族に対しても、表面上では申し訳なさそうに反省している振りはしていましたが、本当に表面上だけのことだったんだなと今では思います。その時点では私自身が薬物依存症に陥っているなどとは夢にも思っていませんでした。

しかし、ともかく家族の監視の目も厳しくなり、執行猶予中だったこともあり、それから五年間ほどは薬に手を出すこともなく、またパチンコ店からも遠のき、仕事に集中して過ごす日々が送れていたように思います。再び薬に手を出すようになったのは、またしてもパチンコ。転職した職場の先輩にスロット好きの方が多く、夜勤明けに連れ立ってパチンコ店に通うようになります。そうなると、過去の薬を使っていた感覚が蘇り、再使用に至るまで時間はかかりませんでした。誘われた時にしか行かなかったパチンコ店も自主的に足を向けるようになり、またもスーツ姿で密売地域をウロウロ。そして、当然の如く三カ月程で二度目の逮捕をされ、今度は刑務所に入ることになったのです。

二回目の逮捕では本当にたくさんの大事なものを失いました。家族・知人からの信頼、今まで培ってきた仕事の実績、仕事、お金。そんな落ち込んだ心境の中、初めての受刑生活が始まりました。

人から怒鳴られたことなどなかった私にとって、刑務所での生活はとてもショックが大きく、後悔の念と不自由な生活は「もう二度と刑務所に戻りたくない」と私に十分思わせるものでした。そこで初めて「もう薬は使わないでおこう」と思ったのです。

しかし、その時点では未だ自分が依存症であることは認めていません。自分の力で止められる自信すら持っていました。自分が薬を使ってしまうのは、環境が悪いからだ。密売地域から離れれば大丈
夫だ。という思いから出所後は地元から離れた場所に職を得ます。幸い新天地では、仕事も評価され、役職にもつけ、結婚を前提に付き合う女性もでき、本当に幸せな五年間を送ることができました。

すっかり刑務所で経験した後悔の念や不自由な生活、そして自分の問題を忘れ、普通の社会人になれたと勘違いした私は、再び自分から依存症の罠に足を突っ込みます。結婚の為により良い給料の職場を求め、以前「自分にとっては危険な場所」として離れた地元に戻ることにしたのです。それでもしばらくは真面目に仕事をし、彼女とも良好な関係を築けていました。しかし、良い給料をもらうには当然高い能力・スキルが必要です。出所後全てがとんとん拍子にうまく進んでいた私は自分を過信していましたが、人生には必ず躓きがあるものです。格段にレベルが上がった仕事内容に能力が追い付かず、足りない能力を補う為には時間でカバーするしかありません。
休みも取らず、睡眠時間を削り仕事に取り組むようになり、その結果大事だった彼女を振り返ることもなく仕事漬けの生活をするようになりました。そのような生活を送ると当然彼女とも別れる事になってしまい、仕事も苦しく、全てが上手くいかなくなりました。そこで私は壊れました。

職場を変え再出発を図ろうとしましたが、失った彼女、傷ついた自尊心、仕事へのモチベーションなどが私を苛み、当時流行っていた合法ドラックへと逃げてしまったのです。そして合法ドラッグが違法になると、再び覚醒剤を使用が始まり約一年程で再度刑務所に行くこととなります。家族からも見捨てられると思っていましたし、私自身ももうこれ以上家族に迷惑を掛けたくないという想いも強く「もうこれ以上関わらなくていい。縁を切ってください」と手紙を書きました。出所後は薬の売人になろうとさえ考えていました。全てがどうでもよかった。何もかもが面倒だった。

そんな時です。弁護士の先生を通じて心理カウンセラー、そしてダルクと繋がる事になりました。母親からも手紙が来ました。「私は怒っています。情けないし、私自身を否定したくなる。今度こそ更生してください。心から願っています。」そう悲痛な声が綴られていました。私は自分のことしか考えず、一方的に縁を切ってくれという手紙を出したにも関わらず、家族は私を見捨てませんでした。

そのことがあって以降私は再び「薬をやめ続けていきたい」と思うようになりました。自分一人の力では薬をやめ続けることは出来ない、そして自分の持っている問題と向き合わなければ、また同じことを繰り返すであろうことに思い至ります。それから刑務所での一年間は「なぜ薬を使ってしまうのか?」そして「どうしたら薬をやめ続けることができるのか?」について考えました。自分を省みた時、私の本当の問題は薬にあるのではなく、プライドの高さや、人に弱さを見せられない性格等、自分を追い込む傾向があり、結果として薬に逃げていたのです。自分の弱さ、臆病さ、問題を話せる環境、仲間が欲しかった。そして出所後は木津川ダルクに入寮する決意をしたのです。

今私は入寮して7カ月を迎えようとしています。入寮当初は毎日イライラしていました。将来の生活への不安や仲間との関係、思い通りにならないことばかりです。イライラをため込み、しんどく感じる毎日でした。ですが、ダルクのプログラム、NAのミーティングに取り組んでいると、正にその感情が私の問題であると気付けたのです。今はそのような負の感情をミーティング、仲間とのフェローシップ、そしてダルクのスタッフに話すよう心掛けています。そして、仲間の話に耳を傾けること、共感すること、自分も仲間も同じなのだと思えること。その事に勇気をもらっています。ご飯を一緒に作ったり、そうじをしたり、ヨガに取り組んだり、プログラムに取り組むにつれて少しずつ「自分は一人ではない」と思うことが出来るようになりました。

ダルクに入ってからの6カ月で、多分私は何も変化していませんし、成長もしていません。

薬を使用したくなる事は今はまだありませんが、相変わらず自分勝手な考えで行動することもあります。ですが、そんな折、仲間の存在が私を少し立ち止まらせてくれます。私は今、仲間と共に回復の道を歩き始めたのです。

「JUST FOR TODAY」今日一日一所懸命に。仲間と共に。
イライラする日、不安に感じる日、悲しい日、怒っている日、いまだ様々な感情に翻弄される私ですが、日々自身と向き合い、仲間と共に回復の道を進みます。

そして、いつか自然に笑える本当の自分を取り戻せる日が来ると信じています。

アパリ東京本部ニュースレターNO.89

仲間がいてくれること

矯正施設の中でフェローシップニュースの記事を自分自身読み元気をもらえていたので僕も今の自分の精一杯を書かせてもらいたいと思います。

今、この原稿を書き始めていて4年と少し前の刑務所に行かなければならない2度目の逮捕時のことを思い出したりもしました。

当時の自分は薬物でメチャクチャな生き方になっていましたが薬物を使いながら(僕の場合は覚せい剤とエリミンです)仕事もしっかりして家族や大切な人を大切にしてと意外とまともな思いを持ちやっていることはめちゃくちゃですが自分の人生何とかするんだという思いで必死でした。

そして、2度目の逮捕で刑務所に行かないといけない状況となり、なんで自分はこんなことになってしまうのか、何が自分の思いと反対の結果を招いているのか、何が邪魔となっているのかと考えた時、初めて自分の人生において薬物が邪魔なものとなっていたこと覚せい剤とエリミンといった薬物に頼り切って生きていること自分が薬物依存症であることを認めることができました。

薬物をやめなければ自分の人生どうにもできないし、大切な人を大切にすること思うこともできないということに気付かされ、僕の回復の人生は始まりました。僕が木津川ダルクに入寮していたのは、4年と少し前に執行猶予中に2度目の逮捕をされたときに保釈をいただいたときでした。

保釈中にアパリの司法サポートを通して繋がれた病院での治療、ダルク、NAでの回復プログラムへの取り組みなどを認めていただき再度の執行猶予をいただけました。

高裁でひっくり返ったりで最高裁までいき刑務所に行くことになりましたが地裁での有り難い判決をいただけたおかげで病院での治療に4ヶ月半、ダルクでの入寮生活約1年という大切な時間を実刑が始まる前に過ごさせてもらうことができました。

そして、昨年の4月末に2年8ヶ月の刑期で仮釈放を7ヶ月半ほどいただき、ちょうど2年間を矯正施設で過ごし出所してくることができました。

現在は7ヶ月半の仮釈放も無事に終わり、刑期を満了することができ、出所してからも10ヶ月おかげ様で薬物を使うことなくクリーンで過ごさせてもらえています。

出所してからダルクやNAに繋がらずに焦る気持ちもある中もう一度ひとりでやり直そうとしていたらもしかしたら再使用していたかもしれないなというのが正直なところかもしれません。

僕は刑務所に行く前に1年間毎日NAにも行き、仲間とも深く繋がれ、仲間との繋がりやミーティングの大切さも感じていたはずでしたが、出所して1週間は緊張と不安でNAには行けませんでした。その緊張と不安は刑務所では自分自身に向けられていた目が一気に外に向き、まわりからどう思われるかということや、刑務所から出てきても美味しいものを食べられた家族に会えた以外は特にいいこともなく、待っていたのは普通に流れている社会があるだけでその流れに薬物を使わない人の目を欺けない、自分をごまかせない、ありのままの正直な自分で溶け込めるのか、受け入れてもらえるのかという恐れや、あるがままの自分の現実の人生と直面して受け入れられずに恐れていたところからきていたんだと思います。

そんな状態からNAに行くきっかけをくれたのも木津川ダルクの施設長、スタッフの方々からの「帰ってきてんの知ってんねんで〜。遊びにおいでやぁ」という電話での言葉でした。そして、ダルクに遊びに行かせてもらい、その夜にダルクの仲間達と一緒にNAに行くことができたのが出所後初めてのNAでした。

それから6ヶ月は1日も休まずにNAに足を運び続けました。

仲間は覚えていてくれおかえりと温かく迎えてくれました。木津川ダルクにも月に2回程泊まりにも行かせてもらえたりで少しずつ現実を生きていく勇気と力を再び吹き込んでもらえたように思います。社会に帰ってきてダルクに行かせてもらった時、初めて会う仲間もいましたが温かく迎えてくれたこと嬉しかったです。

共に入寮生活をしていた仲間に再会できたことも嬉しかったです。

そして何より入寮生活を共にした仲間がクリーンタイム4年を迎え仕事もしっかりとして僕が知っている時よりも何倍も元気にたくましくなっている姿を見せてもらい自分もクリーンで粘り強くやっていけば回復の人生を力強く歩んでいけるんじゃないかという力をもらえたりもしました。

僕にとっての木津川ダルクはアナザースカイ的な大切なところでもあります。NAのホームグループに入らせてもらったことも大きな力をもらえているように感じています。

出所後6ヶ月が経ちNAに行くことも習慣のようになり、ハイヤーパワー、NA、仲間のことを信じる心も再びでき元気になってきた僕は介護施設に面接に行き、週3日1日3時間アルバイトに行かせてもらえるようになりました。

面接も働くのも実に4年ぶりということでめちゃくちゃ緊張しました。面接では、依存症のこと矯正施設に行ったことなどは言っていませんが、他の緊張や不安が人より強いことや生き辛さの部分なんかは正直に話してしまっている自分がおり、面接やのにNAみたいに正直に話しすぎたな、しまったなと思いましたが、なんとか週3日1日3時間からやってみましょうと受け入れて下さりました。

そして実際に働かせてもらえることになりました。自分の場合はまさに面接の時や新しい職場などで人からよく見られたい受け入れてもらいたいといった場面で薬物の効果に頼りきりになり生きてきたので僕の一番の薬物を必要とする状況に直面することになりました。

薬物があれば人間関係も楽にスムーズにいき、うまく自分のことも取り繕うことができいい感じに対処できるのになということが頭の中に本当によく出てきます。

自分は薬物を使ってもうまく生きれないということも今ならわかるので使いたいと思うことはありません。でも薬物を使っていないというだけでいろんな事を気にし過ぎ恐れ過度の不安や緊張を持ってしまうことや自分の中にある問題点や自己肯定感の低さや生きにくいなと感じてしまうところは薬物を使っていた時とほとんど変わらずにあるのが今の自分の実際のところであります。

では薬物を使う前の自分はどうしてたのだろうと考えてみたりもしましたがやはり同じような生きにくい部分はあり、本当の自分を知ろうとはせず人から自分からの見え方をよく見せようと必死で取り繕うことをし生きていたように思います。

以前の自分にはなく、今の自分にあってくれることというとNAやダルクと繋がり同じ様な問題点を抱えながらも薬物を使わない生き方を楽しく歩んでいる姿を見せてくれたりミーティングで話してくれたりする仲間がいてくれることです。

こういった自分の問題点や生きにくい部分をNAやステップの原理に沿って生き、うまく対処していけるようになれたらいいのになと思っています。

自分を支えてくれているものってなんだろうと思うと、なんだかんだ言っても温かい家族がいてくれ僕の回復を信じ応援してくれていることと、4年前に回復の人生が始まり出会わせてもらえた良き方々や木津川ダルク、NAの仲間が心の中にいつもどこか繋がっていてくれることが本当に大きくもう一度薬物に頼らないクリーンな自分で生き直してみようという勇気と力もいただけているように思います。繋がりを与えてもらえていること繋がっていてくださる方々がいてくださることに本当に感謝しています。

介護施設でのアルバイトでも仕事ができるように見せようともしない取り繕っていない正直なありのままの自分で一日一日を誠実に自分のやるべきことできることをしていき、人からどう思われるかというところや後のことはハイヤーパワーにゆだねていこうと思い祈り過ごしている日々です。

このような日々の過ごし方生き方もNAの仲間がミーティングで話してくれたことを自分に取り入れたことであります。そして今現在、介護施設でのアルバイトもなんとか4ヶ月が経ち週4日の1日5時間に増やしてもらうことができました。

自分の問題点なんかも配慮して少しずつトライさせてもらえている職場の方々に、そしていつも僕に道を示してくれるNAに繋がり出会うことのできたハイヤーパワーに感謝しています。

これからもNAやダルクの仲間のなかで粘り強く今日一日で回復の人生を歩んでいきたいです。出所して10ヶ月の自分にこのような原稿を書かせてもらえる機会を与えていただきありがとうございました。

えち

アディクション(嗜癖)と付き合いながら生きる~本人・家族とともに考える~

ともいき講座・京都府南部地域まちづくりミーティング「アディクション(嗜癖)と付き合いながら生きる~本人・家族とともに考える~」を12月18日(月)に開催いたします。NPO法人アパリ 木津川ダルクさんやNPO法人京都DARCさんにお越しいただき、当事者やご家族からお話をうかがいます。ぜひご参加ください。

「アディクション(嗜癖)と付き合いながら生きる~本人・家族とともに考える~」
日時:12月18日(月)10:40~12:30
場所:京都文教大学 弘誓館104教室

スケジュール:
10:40~10:45  開会挨拶、ウォーミングアップ
10:45~11:10  ダルクとアパリ、アディクションについて
11:10~11:50  アディクションの本人、家族の体験談
11:50~12:25  参加者グループワーク
12:25~12:30  閉会挨拶
※定員100 名程度、参加無料、事前申込不要。

主催:「精神に『障がい』のある本人とその家族(ケアラー) への情報提供と支援に関する実践的研究」(研究代表者:松田 美枝【臨床心理学部】)